自分の人生に引け目を感じていない

人がわたしの人生を振り返ってみたときに、たぶん、自分よりは下だなと考えると思う。それでまあ安心材料になってくれたら別にいいよ。そういうもんだし。ガハハ。ただまあわたしはいうほど自分の人生に引け目を感じていない。口唇口蓋裂に始まりうつ病で終わる人生なのは決定してるんだけど。合間を無職で過ごしてさ。確かに他人に誇れるような経歴ではない。20代は一応働いたけどそのせいで心が壊れて、30代はもう後半に差し掛かるのに、ちょぴっとしか働いてない。で、今後もそんな感じな未来。でもさ〜別にいいんだ。表面だけだとそういうふうにしか見えないかもしれないけど、わたしは生き延びるための方法を尽くしてきたから。みんな知らないじゃんわたしがメンクリのくすりをODしたこととか。酒でくすり飲んでたこととか。別に言ってないから知らなくていいし、今後も知らなくていいんだけど。今はもうそんなアホなことしてません。みんなもしないでね。なんていうのかな、生きるだけで必死なんよね。「生きる」というのに普通は「はたらく」とかも含まれると思うんだけど、わたしの場合は普通に純粋に「生きる」一点のみね。はたらかずに、安寧に毎日を過ごし、それでもなおくすりを飲まないと希死念慮で目の前がいっぱいになって歩けなくなってしまう。それくらい、「生きる」ことすらままならないわけ。デカい会社で働けてて、病院にかかるのは風邪のときだけ、病気や怪我による手術や全身麻酔を一度もしたことがなく、仕事が楽しく、仕事が好き、仕事してる自分が好き、そんなような人には、わからないでしょうけれども。わたしは生まれたての赤子くらい生きるのがままならない。自力でトイレもお風呂も食事もできるだけマシであると思ってもらいたいくらい。でもデカい選択を迫られるたびに、ちゃんと自分の意思で決めてきた。病気で外に出られなくなったとき、大学を辞めるのか? 仕事のせいで再発したうつの真っ只中で、仕事を辞めるのか? ある人から受けたひどい仕打ちに対して謝罪どころかフォローさえもなくてうつがひどくなったときは、人間をやめるのか? 他にもあるけど別に知ってほしいことじゃないし、これらも知ってほしいことでもないけど、病気や他者に追い込まれるたびに、わたしは「生きる」ための選択をしてきた。そんなこと誰も知らない。知らなくていい。知らずに表面だけ見て下だと思ってればいい。他の人はライフステージが違うから見れないけど、こいつのことは下だと思ってるから見れるとか、思ってていい。わたしだけがわたしの人生を知ってればいいと思う。わたしはいつも少ない選択肢の中で最善の選択をしてきた。わたしという生命がなぜ今もここにあるのか。だから、自分の人生に引け目とかがない。世間的に誇れることかっていうとそうでもないのはわかってるから、別に大声では言わないけど。では。