区別がつかない

この記事は「#ひるねひとりアドベントカレンダー2024」の16日目の記事です。

朝起きて顔を洗って化粧して服を着替えてご飯を食べて歯磨きして家を出て満員電車に乗って運よく座れて眠りに落ちたところで目が覚めた。

「同じように繰り返す毎日」だ、たいていはこんな感じに始まる。そういう日々とそういう日々に似た夢と、区別する方法はあるのか。どちらも見ているのは自分だ。

夢を夢だと証明する方法、それがあれば現実はいくらか現実味を増すように思う。夢は現実より不確かで不整合だが、それでも現時点で現実を夢でないと証明する手立てはない。現実は現実でないかもしれないのだ。そんな曖昧な土台のもとで生きていることになんの疑問も持たないのは、ある意味幸せだろう。
夢の自分は狂っていて、現実の自分は正常。夢の自分は正常で、現実の自分は狂っている。どちらが正しいと言い切れる? どちらも正しくないと言い切れる?

過去は現実だ。ただ風化していくがために削ぎ落とされた記憶によって現実感のないものになる。なっていく。夢のように、現実感のないものになっていく。
現在は過去になる。現在が現実だろうと夢だろうと、時間軸は変わらず進んで過去になる。どちらにしろ「夢のようななにか」に絶えず変化しているのだ。
未来は夢だ。将来の夢とか、こんなことがあったらいいという妄想とか、そういう夢だ。現在に近付くにつれて現実味を帯びてくる。ただし、未来もいずれは過去になる。「夢のようななにか」。

夢を現実でないと否定することはできない。夢の中にも世界があるからだ。ふわふわして消え入りそうでも、世界がある。

たいていの人間は夢と現実を上手く棲み分けているように思う。なんとなくこっちは夢、なんとなくこっちは現実。それで上手くいっている。ほとんどの人類は優秀にできている。
一部の人間にはそれができない。彼らに夢と現実の境界線はない。現代科学がいくら発達しようと、彼らを救う手立てなどない。夢と現実の境界線は、その世界の主人たる本人にしか引けないものなのだ。