読んだ
paperbags.tokyo読みました。読んだんですよね…。で、めちゃくちゃよかったです。最近の若者はめちゃくちゃとか言わないらしいね。エグいんでしょうねきっと。いや、そんなことはどうでもよくて…書評は、書かない!と、過去記事で宣言したわりに、書くじゃん。みたいな。自分で。なってしまって。うまく、ことばが、出てこないんですが、今からわたしが書くのは書評ではなく、読書感想文なんだとおもって、検索したんですよね。そしたら、書評と読書感想文って、違うらしい!!!!!!! テンション上がってきた! 書評ってたしかに他者にその本を紹介するものである程度の責任を伴う気がしますが感想文はそのへんてきとーでもいい気がするので俄然やる気がみなぎってきました(オタク早口)。
良さ
なにがどういいかというと、最初に、御託はいいからみたいな「はじめに」があるのね。で、それはそのとおりにしたがったほうがいい。「はじめに」とか「おわりに」って読み飛ばしがちかもだけど、そこにその本のエッセンスがギュッと詰まってるから、とくに「はじめに」は読んだほうがいいね。どんな本でも。すげー長いやつとかたまにあるけど、それは適宜読み飛ばしてもらって。「おわりに」は、読み終わったんならいらんかもしれん。とにかく「はじめに」の言うことは絶対。絶対なのです。
深さ
「はじめに」の体験をしたら、あとの本文はそれを深く解説したものにすぎないとおもう。だから、気楽に読める。気楽に読めると、なんかちょっと難解かなーってとこも、自分の中で言い換えができる。それが正しいか正しくないのかはわかんないけど。でもそれでいいんじゃないですか観察って。アートの受け取りかたって。だって人類って言語で考えてるのに、アートって非言語じゃないですか、そしたら余白が生まれるのは当たり前だし、それが解釈の余地ってやつで。その余地をどうおもうかが想像力ってやつで。それを現代人は失ってるから蘇らせようって魂胆なんですよこの本は。いいね。
広さ
西洋史観みたいなのがたぶんない。著者の略歴を見るとそれはそうやんな、というかんじになるね。日本史って世界史から無視され続けてるじゃないですか。世界史に日本が登場するの明治からとかじゃんか。ザビエルどうした。だからわたしは世界史とか歴史の本を読むと、個人的にコンプレックスみたいなものをかんじるのね。コンプレックスではないんだけど。みたいなものね。西洋ってそんなえらいんか!? みたいな。そりゃまあ、あちらがローマ帝国のころ、うちらは弥生時代なんだけど…だからって、えらいんか!? なあ!?!??!? みたいな。そしたらアメリカさんは、若造じゃないですか!!!! 日本さんは…ていうヘタリアになってくるわけ。
なにが言いたいかっていうと、この本で語られるディープ・ルッキングの根拠のようなものが、インドや中国に由来してるみたいな、、、瞑想とかね。山水画もね。西洋のものだけで語られていないところが、いいねポイントですね。
おしまい
感想文のおわりってむずい! でもこれはブログだから強制的におわりにできる。ブログって、すごい。作文用紙で強制的におわらせる方法知らん。こわい。読んでくれてありがとう!!!!!! では。