最近とみにおもう
観察力がないことと、色がよくわからないということ。色のわからなさは観察力のなさに従属するかもしれないけど、なんかとにかく、このふたつが不足しているとおもうんです。美術鑑賞やデザインの勉強をするにあたって。今まではアート方面のとびらを閉ざしていたからどうでもよかったんだけど、ミドサーになって必要になってくるとはね。どこ行っても数学がつきまとってくるのと似てます。数学も苦手です。
観察力について
美術館でアート鑑賞してると、ウワーわたしってなんにもわからない、と絶望するのね。宗教画なんかだと宗教の知識が足りないねと思うし、ポップアートだと現代アートまでの流れがわからないから、じゃあ洞窟絵画からさらってから見ていくか、となるね。わたしは根源知りたがりガールで、歴史なら古代が好きだし、言語学なら日本語の起源とか世界祖語とかが気になってた。当然、美術では洞窟絵画とか美術の始まりが気になって、そういう本もいくつか積んでる。積んでるだけ。要は、美術の知識がないからそこになにが描かれているかわからなくて、でそれと根源知りたがりガール要素が掛けあわさって、ウワー洞窟絵画の本読も、となるわけ。実際、観察力というのは知識や経験にもとづくものだとおもうので、もう、気づいた瞬間から積み重ねていくしかないよね。だから美術書とか買っては、まあ、たまに読むんだけど、身になってるのかよくわからない。
わたしの好きな路上観察なんかは、なんだろうな、ジャンルが多々あるとはいえ個々の事象については自分の体験が絶対のオリジナルだから、だから自信を持ててるかんじがする。たとえば、片手袋とかでもいいんだけど、片手袋という概念や存在を提唱したのは全然わたしじゃない違う人だけど、個々の体験、わたしが見つけた「今」のこの片手袋(たまにインスタに上げてます)は、その後にも先にも同じものを発見した人がいたとしても、それはそれでオリジナルで、わたしの見つけた「今」も「今」でオリジナルだというわけ。エーわかりますか? 伝わってますか? こちらヒューストン、どうぞ。やっぱり、『美術を書く』を読んだほうがいいのかもしれないね、どうぞ。
混色を筆頭に色について
色、わかんね〜〜〜! べつに色覚多様というわけではなく。視力が鬼悪い以外はいたって健康なおめめをしてるんですが。配色は、配色サンプルみたいなのとかよくあるからそれ見ればいいけど、とくに、この色とその色を混ぜたらあの色になるよね、っていうのがわかんない。中学の美術で、色の三原色?だけを使って自画像を描くっていう時間があって、まあ、肌の色、どうすんのってなるよね。めんどくさいから赤ってことにしちゃおってわけにはいかないのよね。全然わかんなくて、肌の色は先生にずっと作ってもらってた。こればっかりはおべんきょじゃなくて、絵の具を買ってきて家でガチスプラトゥーンするしかないのかなあと、おもっている。
色、わかりて〜。美術鑑賞にも必要だけど、パーソナルカラーとかそっち方面でもあったら便利だから。むずい。でもなんか色とか、資格があるくらいだし、むずいもんなんだろうな。では。