漢字をひらくのにハマっている

漢字をひらくのにハマっている。なんでも漢字で書けばいいというものではなくて、かといって全部ひらがなにするかっていうと違う。カタカナ表記ガチ勢みたいなのも世の中にはいるらしいね。表記ゆれがけっこう激しいこのブログだとおもうんだけど、文章全体を見たとき(読んだときではなく見たとき)にパッとわかりやすいほうがいいかなとおもって、わざとゆれさせてる。でも人から見たらどうなってるのかはよくわからない。

【校正】ひらく漢字の決定版!常用漢字表(H22改正)ほか | ことばのよろず屋
「なぜ、“ひらく”のか」への考察|鷹野 雅弘

ググって一番上に出てきた記事と、いいかんじかなとおもったnoteですが、おおむねわたしのルールに則ってるかなというか、逆だね、わたしがルールに則ってるかなとおもって、載せます。

昔のブログ記事とか見ると、全然ちがう表記で書いてたりして小っ恥ずかしい。わたしがなんで漢字をひらくようになったかというと、なんとなく文豪っぽいから。そんだけ。まっことくだらない、ほんとうに。。。文豪っぽいから、とか言うくせに文学は読まないんですよこいつ。大昔に、文学読めるのってかっけえとおもって『坊っちゃん』を読んだけど、親譲りの無鉄砲で暴れちらかすなあ、みたいな。そんだけ。学校の教科書でやった『走れメロス』はけっこう好きね。「メロスは激怒した。」って始まりかた、マジ読者を置いてっててかなりクール。メロスって誰だよみたいな疑問も、メロスが激怒しているらしいことから、激怒している理由にシフトしていく。もうメロスという存在は読者の心に根づいたってわけ。うますぎワロタ。

で、そういう文豪って小難しい漢字をちょこまかと使ってそれこそ読者を置いていくイメージがあったけど、そういうタイプじゃない文豪は意外と漢字をひらいたりしてるんだよなと、なんだっけな、井上ひさしの『文章読本』かなんかで見たような気がしなくもない、みたいな、かんじです。人生印象派なのでこのようにすべての記憶がモネの睡蓮のようにゆれている。では。