雨宿り

 会社を辞めた。入社時からあった違和感がどんどん膨らんでいって、そりが合わないという結論に至った。会社の人はみんないい人だけど、いい人のために仕事をするわけじゃない。でもいざ辞めるときはいい人たちの優しさが沁みた。

 ひと雨来そうな気がしたけどそのまま代々木上原へ行くことにした。新宿から小田急線に乗った。これに乗って学校に通っていたこともあった。千葉から長い長い通学時間だった。各駅停車の順番と急行の停車駅を覚えたころに乗らなくなって、すぐに忘れた。でも、急行が代々木上原に停まることは今日も覚えていた。いつの間にかホームドアができている。もう発車する急行に乗った。最後に小田急線に乗ったのは学生のころだからもっとエモい気持ちになるかと思ったけど、ならなかった。車両が新しくなっていた。風景も、新宿の高層ビルを過ぎたら別になんとも思わない。学生のころはずっと寝てたし。

 

 代々木上原に初めて降り立った。家賃相場が高いらしい。なんで? 目当ての東京ジャーミイへ行く。地図を見ながら坂をのぼって、あの角だ、ってところを見上げると尖塔があった。ついにモスクへ来たと思った。来てよかったのか不安だった。

 イスラムの文化には前々から興味があった。高校生のころ、世界史の授業で初めてイスラムについて勉強したときから。自分とは全然違う世界の話だと思った。無宗教…いや仏教、うーんクリスマスはなんとなくめでたいし、ハロウィンも楽しいし…っていう八百万の神様たちに囲まれて育った凡凡凡庸な日本人たる私には、一神教で、ただその神だけを信じることが難しい。自分の理解の範囲外にある場所に行くのはやっぱりちょっとこわい。自分の丸腰さが。でも、行きたかった。

 こういう施設のドアが閉まってるとやけに拒否されてる印象を受けるけど(私だけかも)(臆病すぎるせいで)、別になんてことはなく普通に閉まってるだけだから開けて入って大丈夫。開けて入って大丈夫ならもっと進んで大丈夫。冊子をもらって寄付をしてズンドコ奥へ。ハラルマーケットがある。ハラルフードの他にスカーフやお祈り用のマット、コーランなどが売られてる。なんか不思議な匂いがした。お香でも食べものの匂いでもないと思うんだけど、体調があんまりよくない状態で行ったからステータスを徐々に削られていく感じがした。なんだったんだあれは。異国の匂い? 異国に行ったことがない。

 

 礼拝堂へ行くかすごく迷った。見学自由って言ってるんだから行けばいいのに気にしいだから、礼拝堂なんて特別な場所に私みたいなのがふらっと行っていいんすか! いいんです。行った。まじで迷いすぎて2,3回建物出入りしたけど。気にしいのくせにお清めするの忘れて直で礼拝堂行っちゃったけど。ごめんなさい。でも神様は神様だけあって優しいから許してくれると思う! 大丈夫!

 靴を脱いで入ると、入口にレンタルのスカーフと上着がある。あんまりにも薄着だとよろしくないから着る。私の今日の格好ではスカーフを頭にかぶるくらいでよかったけど、念には念をということで上着も着た。暑くて汗が頭から噴き出てくる。礼拝堂の中は特に空調が効いているわけではなく、扇風機を何台も回してしのいでいるような状態だった。それでもずっと礼拝堂にいて装飾を眺めていると、不思議と汗が引いていった。屋内の写真を撮った。写真にはこの良さが残せなかった。

 写真を撮ったりぼーっとしたりたまに入ってくる信者さんのお祈りを遠くから眺めたりしていると、突然ニイちゃんがマイクを持って話し始めた。カラオケもありなんかなとかアホなことを考えてたら、どうやらアザーンのようだった。アラビア語は全くなんにもわからないけど、響きが音楽のようで美しかった。アザーンが終わるとイマームと信者がやってきて一緒にお祈りをする。ニイちゃんはイマームだった。イマームはお祈りの詠み手ってことでいいのかな。えらい人です。

 外ではゲリラ豪雨が降っていて、セミも変わらず鳴いていた。匂いや目で見ている光景はいつもと違うもので、だけど日本にあるものだった。集団のお祈りが終わっても、各々でお祈りするために来る人がちょくちょくいた。

 

 もっと荘厳な印象を受けるのかと思っていたけど、全然違った。入りやすくて、居やすい。ちょっと大きくてきれいな友達んち、くらいの身近さを感じた。雨が止むまでいてもいい。なんにも考えずに座っていた。ついさっき会社を辞めて、次の一手は別にないのに。お金がほしくてしょうがないのに。生きるのなんかやめられたらそれが一番いいと常に少しずつ思ってるのに。無理せず無でいられる時間があった。

 お祈りは特別なことではないけど、お祈りの気持ちはきっと特別なんだろうと思った。イスラム教の神様は生活に根ざしていて、このモスクも生活の一部なんだろうね。だから美しすぎる装飾に恐怖心を持つことなく自我を保ったままで無になれたのかもしれない。美しすぎる装飾から受ける恐怖心はときに心を洗わせてくれるけどね。

 雨が止んだからもう帰る。マンゴージュースは口に合わない。

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